Back Ground
2012年5月〜2014年1月
2014年3月〜2016年5月
2016年7月〜2019年11月
2017年1月〜2019年11月
2019年12月〜2019年10月
2021年12月〜2022年3月
2022年4月〜2022年12月
2023年1月〜2024年12月
同郷の親友とデュオを組んでいたが、一年半の活動を経たのち解散。
ソロ活動を神奈川県 川崎にて始める(この時 大学4年)
それから卒業までの毎週4回、18:00~22:00の路上ライブを半年間続け、ファンを集める。
大学卒業後、曹洞宗 大本山 永平寺へ
丸2年修行をする
修行後、自坊へ帰らなければならないところ、親の反対を押し切り再び上京し音楽活動を再開。ライブ設営のバイトをしながら路上ライブ等を行なっていたが、2年の時代変化は凄まじく、一度心が折れ帰ることを決めたが、土壇場で飛行機をキャンセルし留まる。
この頃、新たに駒沢のライブハウスでバイトを始める。支配人に100人集めたら変わると助言を受けた翌日から、100人ワンマン目標に活動、3ヶ月後、川崎100人集客ワンマンを敢行し成功を納める。勢いをつけ、翌年関西ワンマンも敢行し成功。
都内でワンマンを幾度も繰り返しファンを増やしていくが、実家の事が気にかかり父と相談し、僧侶とシンガーソングライターの二刀流を地元 北海道で継続することを決意。
ラストワンマンを青山 月見ル君想フにて行い、一つ区切りをつける。
地元 浜頓別町へ帰郷し、永生寺 副住職へ就任。その年の暮れに
新型コロナウイルスが蔓延。寺院としての業務、音楽活動に大きな規制がかかったが、女学活動は配信での活動を予定していた為、ネット上での発信を軸に活動を始める。
日テレ「歌唱王」のオーディションへ応募。全国1万8000件を勝ち残り、テレビでの決勝にて中島美嘉「僕が死のうと思ったのは」を歌い、全国2位を獲得。
翌年3月、同局「ミリオンシンガー」に出演し最高得点を出す。
Youtubeチャンネルの登録者が2万人を超える。
歌唱王の出演を契機に、ミュージシャン「上北健」と縁が繋がり
音楽プロデュースを受け、僧侶 兼 シンガーソングライター 加藤煕章
として1st.Singleとなる「遺言」をリリース。地元PRへの思いを込め
Music Videoを浜頓別町にて撮影。協力に同郷出身のサウンドデザイナー&映像クリエイターの畑中正人を迎え制作した。
自身の活動初となる、ホールでのワンマンライブを敢行。
旭川市民文化会館小ホールにて、250人を集客し成功させ
1st album「僕らは自分を信じてあげたいだけ」のCDを発売する